不登校は、不登校後も実は苦しい!

不登校
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不登校になる前に葛藤がある…ということは、よく知られています。

でも、実際、不登校になったあとにも、葛藤が続くことはあまり知られていないのではないでしょうか。

「学校に行けないという苦しさ」は、経験してみてはじめてわかりました。

これまで、たくさんの子どもたちとかかわり、不登校の子どもたちとかかわることもたくさんありました。でも、実際に、家で過ごす子どもたちがどんな気持ちでいるのか、どんな葛藤があるのか、は想像するしかありませんでした。

それが、自分自身がある日突然、学校に行けない状況になり、不登校状態に…。そこで、はじめてわかったことがたくさんありました。

今日は、自分が体験したはじめてわかった「学校に行けない苦しさ」についてシェアします。わたし自身、学校に行けない苦しさを実感したのは、大人になってからなので、ちいさな子どもたちは、もっと苦しさや葛藤があるのかもしれません。

なかなか言葉にできない子どもたちの葛藤を理解するきっかけになれば、うれしいです。

学校に行けない苦しさ① 行きたいよりも「行かなくては!」のプレッシャー

学校に行きたい、行きたくないというよりも、「学校に行かなくてはいけない」というプレッシャーを感じていました。「行かなくてはいけない」のに、行けない自分。ここに苦しさがあります。

これは、学校に行かないと選択する前に、苦しむことが多いのではないかと思います。

朝、心の中で葛藤する。「学校に行かなくてはいけないから、今日は行こう」と準備をはじめる。でも、すでに心に限界をむかえている場合、心と体が全力で阻止しようとする。朝になると、具合が悪くなる、玄関で動けなくなるというのは、頭と心と体が葛藤しているからだといえます。

それでも、「行かなくてはいけない」のプレッシャーにかりたてられ、なんとか学校に行ったものの、エネルギーをすべて奪われ帰宅する。その繰り返しという子も多いのではないでしょうか。

「行かなくてはいけない」のプレッシャーを解くには「行かなくていいよ」「休んでいいよ」というまわりの声。プレッシャーに動かされている子どもたちにとって、自分自身で「休む」という選択をするのは、なかなかむずかしいのです。

学校に行けない苦しさ② 「みんなのようにできない」という自信喪失

親が他の子と比較しなくても、子ども自身が「自分はだめだ」と自信を失うことはよくあります。「学校に行けない」ということは、子どもたちにとって、大きな選択。

まわりの友だちは学校に行っているのに、行けているのに、なぜ自分は行けないのだろう…。

考え始めたら、どんどん自信がなくなっていきます。

中には「学校に行きたいのに、行けない」という子もいます。行きたいのに、行けない葛藤、行けない自分と向き合うことは、子どもにとってとても苦しい時間になります。

わたし自身、もともとは自己肯定感はわりと高い方だと思っていましたが、不登校期間中(正しくいえば適応障害発症中)は、ものすごく自己肯定感が低かったです。働きたいのに、働けない。まわりの先生たちは、どんなに忙しくても仕事をこなしているのに、なぜわたしだけ…と、自信を喪失していた時期がありました。

大人でもだいぶ凹みます。子どもだったら…と考えてみてください。

学校に行けない苦しさ③ 「自分がコントロールできない…」もどかしさ

学校を休みはじめたころ、とてつもない脱力感を感じていました。おそらく、不登校になったばかりの子どもたちの中にも、一日中布団で寝ていたり、だらだら過ごしたりしている子がいると思います。

これは、充電しているんです。でも、自分がやりたくて、やっているわけではない。本当に、体が動かないんです。バッテリー切れの状態。だから、とにかくゆっくり休んで、充電するしかない。

でも、こんな状態でいいのかな。なんで、こんなに動けないんだろう。と、もどかしくなることがあります。この充電期間中は、なかなか自分自身をコントロールすることがむずかしいです。

とにかく、何も考えずに休むこと。これにつきます。

学校の話題に敏感に反応することもあるかと思います。なるべく、学校の話題を避けるなど、刺激を少なくすると回復もはやいです。学校の先生とのやりとりを少なくしてもらうなど、工夫できることがあれば相談してみるのもひとつです。

学校に行けない苦しさ④ まわりの目が気になって、殻に閉じこもる

以前、不登校のお子さんを受け持ったときに、4月の面談で「先生にはいっさい会いたくないです」と言われたことがありました。そのときは、一度もあったことがないのに、なんでそこまで拒絶するんだろう…と思っていました。

でも、今なら理解できます。学校の先生だから会いたくなかったのかもしれないし、家族以外には会いたくなかったのかもしれない。そういう時期だったのだろうと、理解できます。

不登校になると、まわりの目が気になります。外に出て、知っている人に会ったらどうしよう。見られたらどうしよう。など、ものすごく敏感に人の目に反応するようになります。

そんなときは、気分転換など必要なく、とにかく安全地帯の家にいたい。無理に外に連れ出さずに、安全地帯の家でゆっくり過ごさせてあげた方がいいです。

自分の殻に閉じこもってしまうのではないか…と心配になるかもしれませんが、ゆっくりじっくり自分の殻の中、安全地帯の中で休めば、そのうち充電満タンになり、行動し始めるときがきます。

「今は、休むとき」なのだと伝えてあげてください。その言葉で安心して休むことができるはずです。

学校に行けない苦しさ⑤ このままで大丈夫?ゴールが見えない不安

いつになったら、学校に行けるんだろう。いつになったら、今より安定するのだろう。

見守っているだけで、大丈夫なのだろうか…と不安になることもあるかと思います。

でも、それは、不登校中の子どもたちも同じです。同じように不安を感じています。

このまま、ずっと外に行けなかったらどうしよう。いつになったら、普通の生活ができるんだろう。わたしも、そんな不安を抱えていました。

「いつまでにこれをしたら、回復します!」みたいなマニュアルはいっさいない。心が回復しても、学校にいける保証はまったくない。そんなゴールの見えない不安とたたかっています。

このゴールが見えない不安が解消されるまで、けっこう長い道のりです。

大事なことは、焦らないこと。

大丈夫。トンネルの出口は必ず見えてきます。

【まとめ】言葉や表情に出さなくても、不安や苦しさと葛藤している

不登校になったばかりのころは、不安や苦しさというよりも、無気力状態のことが多いかもしれません。そんなときには、とにかく「休んでいいよ」「今は、たっぷり休むとき」だと伝えてあげてください。「学校に行かなくては!」のプレッシャーから解き放ってあげることが大切です。

回復期になると、家では元気に過ごしているというお子さんもいるでしょう。そんな一見、元気そうに見える子でも、心のどこかに不安や苦しさを抱えています。

わたし自身、今は充電満タンに回復していますが、これは、家族の存在のおかげです。家の居心地がよかったこと、家族がいつも通り接してくれていたこと、無理なことはやらないですむよう協力してくれたこと。

おそらく、家族みんなが心配していたことは確かでしょう。でも、ただただ、いつも通りに何も聞かずに接してくれたこと。待ってくれたこと。これが、回復するのに、大きな力となりました。

家族の存在は、とても大きな力となります。特別なことはいらない。ただ、信じて待ってほしい。もしかしたら、不登校中のお子さんの中には、そんなふうに思っている子もいるかもしれません。

今日は、学校に行けない苦しさをお伝えしました。ただ、これはあくまで、わたし自身の経験をもとに書いています。人によっては、「別の苦しさもあるよ!」という方もいるかもしれません。でも、少なくとも、まったく苦しみを感じず、学校を休んでいる子はいない!

子どもたちの心が一日もはやく回復し、目を輝かせてやりたいことを探せる日が来ることを、心から願っています。

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