学校にいるときは、精いっぱい子どもたちとかかわってきたつもりでした。
でも、学校を離れてみると、また違う景色が見えるようになりました。
学校の外から眺める学校は、今まで感じていたものとは少し違いました。
学校にいるときは「正しい」と思っていたことが違ったのかもしれない…という気づきもたくさんありました。
今日は、そんな「学校を離れて、はじめて見えてきたこと」をシェアできればと思います。
学校の先生にうまく伝わらないもどかしさを感じている方々、「なんで学校ってこうなんだ!」と怒りモードの方々、はたまた、今、教員を辞めるかどうか悩んでいる先生方へ… これを読めば、学校の外と中の温度差がわかっていただけるのではないでしょうか。
教員を辞めてはじめて見えてきた 学校の独特さ① 昭和から変わらない「超アナログ」
実は、わたし自身、教員を一度辞めてから、また教員に戻るまで、7年くらいブランクがありました。その7年間で大きく教育現場が変わっているのだろう…と思っていましたが、実際はそれほど変わりはありませんでした。
コロナの影響もあり、最近になって、ようやく少しずつデジタル化しつつありますが、それまでは本当に超アナログでした。
教員にパソコンが一人一台支給されない学校もありました。みなさん、個人用のパソコンを持ち込んで仕事をしていました。(自治体によって大きな差があります)とにかく、デジタル機材が足りないから、試行錯誤で事務仕事をしたり、教材教具を作ったり…という感じです。
一般企業に勤めた経験がある身としては、ありえないこともたくさんありました。たとえば、情報がきちんと共有されていなかったり、学校の運営に関する書類などの引き継ぎがあいまいだったり、効率的じゃないな…と感じることが多々ありました。
大量のプリントが配られ保管し、年度末にはシュレッダー処分。その時間と労力も、とてももったいない。一人一台パソコンが導入されていた自治体にいたときでさえ、「パソコン上だと見ない先生もいるから…」と紙ベースで会議用資料が配布されることも。なかなか脱アナログはむずかしい。
教員を辞めてはじめて見えてきた 学校の独特さ② 子どもは規律正しくが基本!
学校は集団行動が多いので、やはり規律を守り、先生の指示どおりに動くことをよし!としているところがあります。わたし自身も、長年そう思っていました。でも、その規律を守りたくても守れない子がいる、指示通りに動くことがとても大変な子がいる…とわかってからは、考え方が180度変わりました。
でも、もしかしたら、教員の中には、自分の考え方を変えるのではなく、子どもを変えようとしている人もいるのだと思います。集団行動で目立ってしまう子、そもそも集団で行動することがむずかしい子にどのように対応するかは、学校で決まっているわけではありません。個々の教員にゆだねられていることが多いです。
「出る杭は打たれる」日本独特の言葉のような気がしますが、出る杭は打たれる前に、支援が必要だということを忘れてはいけません。
教員を辞めてはじめて見えてきた 学校の独特さ③ 若い先生も中堅も、みんなしんどい
教員とひとことでいっても、現場で経験を積みながらいろいろなことを学んでいくため、はじめて先生になった若い先生たちには、とても過酷な状況が待っています。
担当の先生はつくものの、毎日四六時中見てもらえるわけではないし、あくまでサポートの域での指導。同じ学年の先生たちは、それぞれのクラスを受け持っているから、忙しくて、小さなことまで相談できないことも多い。
そんな中でも、いろいろな先生たちに相談しながら、子どもたちの心に寄り添うことを学んでいる若い先生たちも多くいます。でも、学ぶことがむずかしい環境にいる先生たちもいるはずです。
新入社員は、先輩について一から仕事を教えてもらいますよね?
研修しながら、少しずつ仕事を覚えていきますよね?
はじめから、大事な仕事を突然任されたりはしないはずです。
それなのに、教育現場では、新卒の先生も1年目から担任を任される。仕事の「し」もよく分からないまま、大事な仕事を任されるわけです。
一方、中堅の先生たちは、採用氷河期の世代。これはこれで、しんどいです。人数が少ないから、いろいろな重要な役割を担いながら、目の前にいる子どもたち、若い先生たちにも目を向けなくてはならない。しんどいな…と感じながらも、それでも子どもたちのために…と日々奮闘している先生たちがいます。
もっと時間にも、心にも、余裕をもって仕事ができるようになれば… そうならないと、人材不足は解消されません。
教員を辞めてはじめて見えてきた 学校の独特さ④ なかなか開かれない…抱え込み主義
もともと教員の仕事は、一人で行うことが多いです。「自分の受け持つクラスを、自分の力でなんとかしよう!」と意気込んでいる先生も多い。
でも、それがときに、悪い方向に向かうこともあります。
「自分のクラスの問題は、自分でなんとかしないと!」と抱え込み、問題が悪化することもあります。また、「となりのクラスに気になることがあるけれど、なかなか言い出しにくい」ということもあります。
一部の教員の問題行動や不祥事があとをたちませんが、対子どもに関することは、おそらくほかの教員は気づいていたけれど、言えなかったこともあるのでは…
小学校での教科担任制が話題になっていますが、これは抱え込み主義を解決する上で、大きな一歩になるのではないかと考えます。複数の教員が学年全体を見ていく。教科担任制にしてなくても、できている学校はありますが…。できていない学校には、大きな変化になるかと。
いじめや学級崩壊など多くの問題は、風通しの悪さも影響しています。教員たちが力を合わせて、同じ方向を向いて指導・支援できるかどうかで、子どもたちは大きく変わっていきます。
教員を辞めてはじめて見えてきた 学校の独特さ⑤ ブラック企業なみの環境
教員の勤務状況が過酷だと、ようやく報道で知られるようになりました。本当に過酷です。でも、教員以外の仕事をしたことがない先生たちの中には、それが当たり前だと思っている人もけっこういます。
わたし自身、教員時代、何度、膀胱炎になったことか…子どもたちが学校にいる間、トイレに行く時間もなく、気づくと夕方ということは、日常茶飯事でした。
給食中のトラブルで、給食が食べられなかった…ということも、よくあります。昼休みのすきま時間に、ささっと残りの給食を食べている先生もよくいます。
学校を辞めて一番驚いたことが、世の中のビジネスパーソンたちは、お昼休みをしっかりとっているということ。教員だったころは、お昼休みは、給食と掃除で一番バタバタする時間帯。そんなバタバタと対応している中、学校の外では優雅なランチタイムがあるということに、心底驚きました。
朝、子どもたちが登校してから子どもたちが帰るまで、子どもが帰ってからも会議の連発、休憩などとる余裕もなく、学校を出る… 朝から夕方まで、ノンストップで仕事をしていた日々。やっぱり、これって、異常ですよね?
【まとめ】教員を辞めて学校を離れてみると、学校ってやっぱり独特!
学校を辞めたとき、ある人から「辞めてよかったね」と言われたことがありました。おそらく、その人は教員に対していい印象がないのでしょう。
わたし自身は、一番、解放感を感じました。「教員」「公務員」という見えない殻から外に出ることができたような感覚です。学校が嫌だったわけではありません。教員という仕事が嫌いだったわけでもありません。子どもたちとかかわる時間は幸せだったし、同じ教育観をもつ先生たちとの出会いはかけがえのないものとなりました。
でも、わたしは「どこかの学校の先生」として子どもたちにかかわるよりも、わたし自身として子どもたちにかかわっていきたい!そう思っています。
学校という独特な場所。この独特な場所に居場所がなくても、ほかに居場所を見つけたらいいよ。今、不登校中の子どもたちに伝えたい。
「学校にうまく伝わらない」「学校の対応がいまいち…」とお悩みの方がいらっしゃったら、これだけは覚えておいてください。全教員が同じではない!子どものことを一生懸命考えてくれる先生たちもいます。
学校という場は、とてもアナログで過酷で、個人にゆだねられていることが多くある、とても独特な環境であることを、たくさんの方に知ってもらいたい。この独特な環境がいい方向に改善されれば、教員の休職者や早期退職者も減り、子どもたちの学ぶ環境も改善されるのではないかと思っています。